この記事では、我が家の老犬がガンになった時に、治療をどこまでするか悩んだ経験と、治療しない選択をした経緯と看取るまでの日々をお話しています。
愛犬が老犬になり、病気をするようになると、治療をどこまでするか?が飼い主さんにとって大きな課題になります。
- できることは全部してあげたい気持ちはあるけれど、高額な治療費が負担になりそう
- 治療費をかけないで自然に任せる選択は正しいのかな?
- 余命宣告を受けたけれど、治療をしない選択をしていいのかな…
我が家の愛犬がガンで余命宣告をされたとき、どこまで治療するのか、というのはとても大きな問題でした。
愛犬の命がかかっているのに、「お金を出さない」というのは飼い主としてどうなのか。
でも、現実的な問題は重く肩にのしかかってきます。
- 我が家では、積極的な治療はしない選択をしました
我が家の愛犬が余命宣告を受けてから、どこまで治療をするか家族で話し合い、自然に任せることを選択した経緯をお話します。
今、迷って、悩んでおられる飼い主さんに、ほんの少しでも助けになればいいな、と思っています。

ゆっくり読んでみてね
積極的な治療をしない選択をした理由
我が家の愛犬が癌と診断され、余命宣告を受けたとき、我が家は「積極的な治療はしない」と決めました。
理由は3つあります。
- 完治の可能性が低いわりに治療費の負担が大きすぎるため
- 治療しても愛犬が幸せな生活ができない可能性が高かったため
- 私自身の「命の終わり」に対する考え方によるもの
順を追ってお話していきます。
既に悪性黒色腫で完治が見込めない状態だった愛犬
我が家の愛犬が「悪性黒色腫(メラノーマ)」と診断された日のことは、今でもよく覚えています。
口の中の腫瘍の病理検査の結果を聞き、「余命は多分1ヵ月から2か月」と宣告されました。
こんなに元気なのに?
ご飯もモリモリ食べて、お散歩も普段通り歩けるのに?
と信じられない気持ちでいっぱいでした。
愛犬の異変に気づいてから、余命宣告までたった2週間
最初に愛犬の異変に気付いたのは、鼻水に茶色いものが混ざっていることに気づいたときでした。
鼻血が出てるのかな?どこかにぶつけたの?
と数日様子を見ても、一向に茶色いものはなくなりません。むしろ、日を追うごとに色が濃くなってきます。
そこでかかりつけの動物病院で診てもらうと、上あごの一番奥にデキモノがあることがわかりました。
わずか1か月前の健康診断では見つけることができなかったのに!
獣医師はその時既に、デキモノが癌であることが予想できていたようです。それでも、「良性かもしれないよ」と力づけてくれました。
翌週に全身麻酔をかけて腫瘍を少し切り取り、病理検査へ。結果が出るまでさらに1週間。
デキモノは数ミリだったものが1㎝程度に成長していました。
病理検査の結果は「悪性黒色腫(メラノーマ)」。この時に余命宣告も受けました。
理由1:完治の可能性が低いわりに治療費の負担が大きすぎたため
余命を伸ばす方法はないのか、完治の可能性は本当にないのか、まず考えたのはその2点。
そこで、獣医師に確認すると、いくつかの治療法と費用について教えてくれました。
治療法 | メリット・デメリット | 費用目安 | 予後(我が家の場合) |
---|---|---|---|
放射線治療 | 処置できる動物病院が車で片道2時間程度と遠い 費用が高額になる 副作用がある | 諸々あわせて100万円程度 | 数週間~数か月の延命の可能性 年単位での延命は難しいと予想できる |
手術 | 我が家の愛犬には適当ではない(顔半分切除になるため) | 50万円程度(癌の状態によって変わる) | 上あご~鼻にかけて顔半分切除 |
癌の進行を抑えるサプリメント | 免疫機能に働いて癌の進行を遅らせる可能性 | ~数万円程度 | 治療というより延命 |
抗がん剤 | 我が家の場合は効果が期待できない | 提示なし | 提示なし |
治療をすれば完治します、あと10年生きられる可能性があるでしょう、ということであれば、片道2時間通うことも、100万円払うことも惜しくありません。
ただ、愛犬の場合は「どの治療をしても、よくて数週間~数か月延命できる程度になると思う」という状態でした。
批判されるかもしれない言い方ですが、「数か月の延命に100万円をかけられるか」という問題は、当時の私にとても重くのしかかりました。
理由2:治療しても愛犬が幸せな生活ができない可能性が高かったため
本来は、悪性黒色腫が見つかったら手術で取ってしまうのが一番良い方法だそうです。
しかし、愛犬の場合は鼻に転移している可能性が高く、それだと上あごから鼻にかけて、顔の半分を切除することになる、とのこと。
- 放射線治療:完治の見込みが薄いのに、通院や入院の負担をかけることが良いことなのか。また副作用で更に苦しませることになるのではないか。
- 手術:顔の半分切除して、自力で食べられず、クン活もできなくなることが幸せだとはどうしても思えない。
- サプリメント:父を癌で看取った経験から、個人的にあまり信用も期待もしていなかった。
手術については、獣医師も「生きてはいけるだけど、犬らしく生きることはできないと思う。だからおすすめしない」と明言していました。」
愛犬が、愛犬らしく残りの時間を過ごせるようにするのが、私たち家族のつとめなのでは?と思うようになったんです。
理由3:私自身の「命の終わり」に対する考え方によるもの
本当に個人的な考え方なのですが、私自身が「みんないつかは旅立つ」という思いが根底に強くあります。
突発的な事故や災害は別として、老いて旅立つのはみんな同じ。
命を全うした人やペットさんには「お疲れ様」って思うんです。
数年前に亡くなった父も「お疲れ様!」という気持ちで送り出しています。
一生懸命生きて、使命や役割をまっとうして、そして命の終わりを迎える、というのはとても自然なこと。
それを「寂しいからいかないで」という私の気持だけで、長引かせるのはちょっと違うのかもしれない、という思いがありました。
だから、余命宣告を受けたときは、本当にショックだったし、悲しかったんですけれど、それとは別に、
「残された時間をどう愛犬と向き合うか、湧いてくる悲しみや怒りと、どう付き合うかを学ぶ時間なのかもしれない」
とも思ったんです。
家族会議:どこまで治療費をかけるのか
自宅に戻り、早速家族会議を行いました。
家族みんなそれまでの経緯からある程度覚悟はしていたものの、実際の検査結果と獣医師の言葉を聞いて、相当ショックを受けていました。
そして、少しでも長く一緒にいたい。生きて欲しいという気持ちと、現実との板挟みの中で、たくさん、たくさん話し合いました。
どこまで治療するか、現実との折り合い
家族それぞれの愛犬への愛情と、「寂しさ」「悲しさ」「不安」がまぜこぜになった感情、それと現実に折り合いをつける作業が始まりました。
- 子どもが2人いて、これからお金がいくらあっても足りない時期である
- 延命ができたとしても、元気でいられる時間は長くない、との獣医師の見立てがある
- 延命ができたとして、自分で食べることも大好きなクン活もできず、散歩もできない時間を過ごさせることになる
- 私や配偶者の仕事はどうするのか
- 寝たきりのまま長時間の留守番に耐えられるのか。
愛犬にお金をかけないことは、薄情なのではないか。愛犬の命を軽んじていることになるんじゃないか。
現実的にどこまで時間とお金を介護にかけてあげられるか。人間の側の生活への負担をどこまで飲みこめるのか。
私と配偶者、子供たちと真剣に話し合いました。
自然に任せようという結論
話し合った末に、我が家は「延命はしない。自然に任せる」という選択をしました。
意見がまとまるまでは、泣いたり怒ったり、家族それぞれが心の中でまるで嵐が吹き荒れているような時間を過ごしました。
割り切れない思いや寂しさ、病気を見つけられなかった後悔、それらをぶつけ合いながら、話し合いは進んでいきました。
- 正直に言って、私たち人間側の生活も大事。子どもたちを育てる責任がある
- 愛犬に100万円かけて、子どもの教育費に影響は出ないのか?
- 愛犬が寝た切りになった時に、ずっと仕事を休み続けることはできない
- 延命治療をしたとして、愛犬が苦しむ時間が長くなるのでは?
- 愛犬が苦しんでいるのに、「長く一緒にいたい」というのは飼い主側のエゴなのでは?
- 愛犬が「犬らしく」過ごせる時間を充実させることを考えた方がいいのでは?
結論として、延命治療はせず、治療費は最低限の痛み止めなどにかけること。
その分、美味しい物を食べさせてあげたり、家族みんなでお出かけしたりすることにお金を使おう、という意見でまとまりました。
愛犬は、特別なイベントや旅行よりも、「決まったコースの散歩」「いつものご飯」「家族がみんな一緒にいること」が大好きな子でした。
だから、愛犬が大好きだった「普段通り」に過ごしていくことが、愛犬にとって一番幸せなのでは?という思いに至ったんです。
お金をかけて治療をする選択もあるけれど、愛犬の現状を考えるとそれが一番良い方法だとはどうしても思えない、というのが共通した認識でした。
だから、治療をしない選択をしても、薄情じゃないし、命を軽んじているわけではない。
むしろ、愛犬の尊厳を守ることにつながるよね、という意見で一致することができました。
ただ、痛いのと苦しいのを取り除くための、対症療法にはお金をかけようね、ということに決まりました。
「治療しない選択」後の愛犬との日々:穏やかな最期を迎えるために
獣医師に私たち家族の選択を伝えると「うん、そうだね。痛み止めは出しておくね」と受け入れてくれました。
そこから約1ヵ月半、愛犬と私たち家族の穏やかな介護の日々が始まりました。
残された時間を家族で大切にする日々
一番こころがけたのは、家族みんなが穏やかに笑って過ごすことでした。
- とにかく穏やかに、家族が笑って過ごすようにした
- 子どもたちの兄弟げんかも封印
- 近くで開催されたドッグイベントにお出かけして、プロのカメラマンさんに撮影してもらった
- 普段の散歩やお留守番はいつも通り
- 家族が今までより早く帰宅するようにした
- 私だけで行っていたお散歩に子どもも一緒に来るようにした
- 普段買わなかった高級オヤツを献上
愛犬にとっては、穏やかな「群れ」の中にいることが、一番好きなことで、幸せなことだと思ったからです。

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愛犬の介護とケア
数週間すると、愛犬の腫瘍はどんどん大きくなり、体調も坂道を転がるように悪くなっていきました。
期間こそ短かったのですが、私にとって心身ともに負担が大きく大変であると同時に、愛犬と今までになく濃厚な時間を過ごせた時期でした。
- 痛みに対するケア:痛み止めを獣医師に処方してもらった
- 口の端から外に出るほど大きくなった腫瘍をひっかいてしまい、部屋中に血液や浸出液が飛び散る:部屋一面にビニールシートを敷き詰めた。手製のエリザベスカラーをつけた
- トリミングやお風呂:ドライシャンプーで定期的に体を拭く
- 爪切り:嫌がってさせてくれないので、100均で爪やすりを買ってこまめにやすりをかける
- 散歩:カートでのお散歩 歩けそうな時は短距離でも歩いてもらった
- 排せつ:室内では絶対にしない子だったので、庭に出してタオルや介護ハーネスで体を支えてさせた
- 食事:ウェットフード⇒ペースト⇒スープ状のものへ、愛犬が食べられる固さを探りながら切り替えていった。味は複数用意し、気分で食べられるものを食べさせた
ちょうどこのころ、子どもたちが相次いで流行り病にかかり、学校を休むことになったため、子どもたちに介護を助けてもらいました。

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最期の日
お水をほんの少ししか口にできなくなって2日くらい経過し、獣医師に「今週いっぱいくらいかもしれないね」と言われた頃です。
その日はたまたま有休をとって、私が家にいる日でした。
もう何日も、寝たきりで一日中うつらうつらしているような状態だった愛犬が、その日は何週間ぶりかに「きゅんきゅん」と鳴いて朝から呼ぶんです。
それで返事をして顔を見せると、しっぽをパタンパタンと振ってくれます。
あれ、今日は元気なんだなぁ、なんて思ってのんきに家事を済ませ、愛犬のそばにいき、しばらくたった時のことでした。
急にえずくようなしぐさを見せ、苦しそうにしたので慌てて抱き上げて、「大丈夫?みんな帰るまで頑張って」と声をかけたのですが。
そのまま旅立っていきました。
抱っこが嫌いで、滅多に抱かせてくれなかった愛犬が、最期は抱っこで旅立っていってくれました。
今思えば、朝から鳴いて、しっぽを振って、「今日行くね」って教えてくれたんだと思います。
老犬の治療をどこまでするか:後悔しないために
老犬の治療をどこまでするか、治療費のお金をかけるかどうか、については飼い主さんごとに考え方は違います。
私と私の家族は、治療をしない選択をしたことについて全く後悔はありません。
けれども、治療をしなかったことで後悔にさいなまれる人もいるはずですし、それも正解なんです。
治療をしない選択をして後悔しなかった理由
愛犬に対し、治療をしない選択をとったのに後悔がない理由を考えてみました。
- 愛犬の病気の特徴や予後、治療法などについて獣医師に細かく質問し、知識を深めた
- 家族で愛犬の状態や獣医師の見立て、これから愛犬がどうなっていくかを話し合い、共有した
- 治療をするかしないか、何度も家族で話し合い、時には感情をぶつけ合うことで全員が納得して結論を出せた
- 判断の根底に、「我が家の愛犬にとって何が一番いいのか」を置いた
老犬の治療については獣医師との連携が不可欠
治療をするにしろしないにしろ、愛犬の病気についての正確な情報や、老犬の心身が今後どう変化していくかを、獣医師と話し合うことがとても重要です。
まだ愛犬が元気なうちから、信頼できる獣医師をみつけてかかりつけにしておくと、老犬になってからも安心して相談できます。
病気の今後の経過予想や治療法、かかる予算などを、納得いくまで質問攻めにしましょう。
遠慮はいりませんよ。
家族との情報共有と考え方のすり合わせがカギ
一人暮らしをされている方は別として、ご家族で老犬と向き合っているのなら、飼い主家族の中でどこまで治療するのか意見を一致させておきましょう。
そのためには愛犬の状態について全員が同じ情報を共有する必要があります。
獣医師に家族みんなで話を聞いても良いでしょう。
介護になった時に、家族の中で考え方が違うと主に介護する人の負担がとても大きくなります。
愛犬にとっても、家族がみんな同じように接してくれることが、一番安心できることなんです。
無理は禁物。できる範囲を考えて
経済的な面でも、介護の負担の面でも、無理をしてはいけない、と思います。
老犬の介護をしている間はどうしても飼い主家族もある程度ガマンをする事柄は増えてしまうでしょうが、何かを犠牲にするのは違うかな、と思っています。
我が家でも家族の話し合いの中で、「どこまでが無理なくできる範囲なのか」というのは常に考えていました。
最高の医療を受けさせる、という愛情の形もあります。
積極的な治療はしなくても、緩和ケアなどで穏やかに看取るという愛情もあります。
どちらも、飼い主の愛犬への愛情であり、優劣はないと考えています。
愛犬にとって何が一番幸せなのか、を考えると後悔しない
我が家の愛犬も、もし高額な治療をしたら、あと何年か寿命が延びますよ、と言われたら、迷わず100万円出して治療したと思います。
けれど、その可能性がほぼゼロである、という前提がありましたので、自然に任せる方向に舵を切りました。
普段から、愛犬について「この子は何がすきなのかな」「どんな時が幸せなのかな」と考えていますよね。
愛犬のことを一番よくわかっているのは飼い主さんです。
どんな選択であっても、飼い主さんがする選択なら、愛犬にとって最善の選択だと私は思っています。
老犬の治療をどこまでするか:まとめ
老犬の治療をどこまでするか、我が家の愛犬のガンと向きあった経験をお話させていただきました。
何度も繰り返しますが、「絶対に正しい選択」はありません。飼い主さんが悩んで決めた選択なら、それが正解だと考えています。
老犬であっても、高額な治療費をかけてできることは全部する、という愛情もあります。
治療をしない選択をして、自然に任せて看取りまでの時間を穏やかに過ごす、という愛情もあります。
この記事が、皆さんの後悔しない選択のための、助けとなれば、愛犬も私も幸せです。
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